ウマ娘 攻略

ウマ娘に登場する競走馬キャラクター「シンザン」のスキルやステータスや評価については、こちらのページでまとめていきます。

攻略情報に関わる内容はもちろん、元ネタとなった実在する競走馬「シンザン」についても簡単にご紹介しています。(場合によっては実体験を元にしている内容も含みます)

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シンザンの攻略情報まとめ

2016年5月21日現在

※2016年5月21日現在、シンザンに関する攻略情報はまだ分かっていません。元ネタとして予想されている競走馬でもありませんので、ぶっちゃけまだ出るかどうかも分かっていません。

が、伝説の競走馬と言われていることもあり、コイツはウマ娘に出るんじゃないかと勝手に予想しました。(紛らわしかったらすみませんw)

シンザンは実際どんな競走馬だったのか?

シンザンの簡単なプロフィール

父:ヒンドスタン
母:ハヤノボリ(母の父:ハヤタケ)
所属:武田文吾厩舎(栗東)
主戦騎手:栗田勝、武田博
重賞勝ち鞍:牡馬三冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)、有馬記念、天皇賞など

※勝ち鞍とは一着になったレースのことです。
※重賞とは競馬でよく聞くGⅠ、GⅡ、GⅢのことです。GⅠ一番グレードが高いです。
※GⅠ、GⅡ、GⅢのレースは、どれも年に1度しかなく、一定の成績を収めた馬が出走するため、競争が激しく勝ちをもぎ取るのは困難を極めます。

【出生~生い立ちエピソード】

1961年に松橋牧場で生まれたシンザンは、牧場を訪れた武田文吾調教師によってその素質を見出され、その紹介によって馬主となる橋本幸吉氏に320万円で購入されました。当時の日本ダービーの優勝賞金が700万円であることを考えると、かなりの高値であったことが良く分かると思います。

また、当時のシンザンにまつわるエピソードとして、馬主の橋本氏が本業で資金が必要になったため、所有するヒンドスタン産駒2頭の内のどちらかを売りたいと、別の調教師に馬主の仲介を依頼しました。

その馬主は明らかに見栄えが良かったシンザンの購入を希望しましたが、シンザンの能力を早くから見抜いていた武田調教師が強く反対したため破談となった、といった話があります。これもシンザンが名馬であることを証明する有名なエピソードであると言えるでしょう。

【印象的だったレース】

○ 有馬記念(GⅠ)

シンザンが消えた!』という実況であまりにも有名なレースです。

4コーナーで逃げていたミハルカスに並びかけに行ったシンザンですが、ミハルカスに乗っていた加賀騎手は、シンザンに馬場の悪いインを走らせるために、意図的に外ラチ沿いに進路を取りました。

しかし、シンザンはさらにその外を通ってミハルカスに並びかけ、交わして1着でゴールしました。この時に撮影していたカメラの視野からシンザンが消えたことで、上記の伝説に残る実況が誕生しました。

シンザンの実際のレース↓

○ 菊花賞(GⅠ)

ダービー制覇後に京都競馬場で調整を進めていたシンザンですが、約40年ぶりの猛暑の影響で重度の夏負けにかかり、菊花賞前に出走した2レースでどちらも2着に敗れてしまいます。

その影響から2番人気で迎えた菊花賞ですが、カネケヤキが後続に20馬身以上をつける大逃げ見せる中、シンザンは道中全く動かずに脚を溜め、直線に入ってから一気にスパートし、先に抜け出していた1番人気のウメノチカラを残り200mで交わし、セントライト以来23年ぶりの3冠馬となりました。

本番では絶対に負けない』シンザンの本質的な強さが一番強く表れたレースであったと思います。

シンザンの実際のレース↓

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【忘れられないシーン、エピソード】

○ 『シンザン鉄』について

通常の馬と比べてパワーがあり、後ろ脚の踏み込みが深く、後ろ脚が前脚の蹄鉄(ていてつ)(注1)にぶつかって爪から出血することが多かったシンザンに対して、考案されたのが『シンザン鉄』と呼ばれるシンザン専用の蹄鉄でした。

後ろ脚用の蹄鉄には、通気穴の空いたスリッパのような形のカバーをつけて後ろ脚の蹄(爪)をカバーし、前脚用の蹄鉄には、そのカバーがぶつかる衝撃から蹄鉄を守るため、前脚の蹄鉄にT字型のブリッジを張った専用の蹄鉄がシンザンだけのために作成されました。

シンザン鉄は通常の蹄鉄と比べて2倍以上の重さでしたが、シンザンはそのパワーから故障のリスクもありませんでした。その一方で、その重さから調教では全く走らない、といった諸説もありました。

(注1
蹄鉄:競走馬の爪の上に装着するU字型の製具。人間でいうところの靴)

まとめ

デビューから引退まで19戦して15勝2着4回と、ほぼパーフェクトな成績に加え、引退後も種牡馬として活躍馬を送り出し、サラブレッドとしての最長寿記録(35歳3か月11日)は今もなお破られていません。

戦後の競馬会を切り開いた伝説の名馬として、これからも多くの人の記憶に残る伝説の1頭であると思います。