ウマ娘 サイレンススズカ

ウマ娘に登場する競走馬キャラクター「サイレンススズカ」のスキルやステータスや評価については、こちらのページでまとめていきます。

攻略情報に関わる内容はもちろん、元ネタとなった実在する競走馬「サイレンススズカ」についても簡単にご紹介しています。(場合によっては実体験を元にしている内容も含みます)

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サイレンススズカの攻略情報まとめ

2016年4月5日現在

※2016年4月5日現在、サイレンススズカに関する攻略情報はまだ分かっていません。ですが、競馬を題材にしてこのキャラクター(サイレンススズカ)を出さない可能性は限りなく低いでしょう。ただし、サイレンススズカという名前ではなく、例えば、木下涼香(きのした すずか)みたいな感じで別名で出る可能性はあるように思います。(でも競馬場で走るときの名前はサイレンススズカになるんじゃないかと)

サイレンススズカは実際どんな競走馬だったのか?

サイレンススズカの簡単なプロフィール

父:サンデーサイレンス
母:ワキア(母の父:Miswaki)
所属:橋田満厩舎(栗東)
主戦騎手:武豊、上村洋行
重賞勝ち鞍:宝塚記念、毎日王冠、金鯱賞、中山記念、小倉大賞典

※勝ち鞍とは一着になったレースのことです。
※重賞とは競馬でよく聞くGⅠ、GⅡ、GⅢのことです。GⅠ一番グレードが高いです。
※GⅠ、GⅡ、GⅢのレースは、どれも年に1度しかなく、一定の成績を収めた馬が出走するため、競争が激しく勝ちをもぎ取るのは困難を極めます。

【出生~生い立ちエピソード】

サイレンススズカの母、ワキアが日本に輸入されて2年目の種付けシーズンの際、稲原牧場の牧場主は当初ワキアにトニービンを配合する予定でした。

しかし、種付け当日たまたまトニービンが混雑していて、サンデーサイレンスが空いていた、そして種付け料も同じくらいだったことからサンデーサイレンスを付けた結果生まれたのがサイレンススズカでした。記憶に残る名馬の誕生はこんな運命のいたずらから始まりました。

また、この馬を語るのに欠かせないものとして『旋回癖(せんかいへき)』があります。馬房の中をただひたすらグルグルと歩き回るといったもので、関係者が気づいた時には手遅れでどんなことをしても治せなかったそうですが、この癖は離乳(注1)の時にサイレンススズカが母親を恋しがるあまり馬房の中をグルグルと歩き回ってついてしまったそうです。

あの大逃げスタイルの背景にはこういったサイレンススズカの寂しがり屋な部分も関係していると思うと、また愛情が湧いてくるものですね。

注1:サラブレッドは生後6か月を迎えると育成のため強制的に母親と別れさせられ、そこからは二度と母親と会えることはありません。)

【印象的だったレース】

ウマ娘 サイレンススズカ

○ 毎日王冠

サイレンススズカのファンの人の多くがおそらくベストレースに挙げるのがこのレースではないでしょうか。宝塚記念を制して完成期に入ったサイレンススズカに対して、当時無敗だったグラスワンダー、エルコンドルパサーの2頭が挑んだ伝説のレースです。

レース自体はサイレンススズカの独壇場。当時、武豊騎手が言っていた『逃げて差す』スタイルを確立したサイレンススズカの前ではその後歴史に残る活躍をした2頭も脇役を演じるしかありませんでした。

GⅡながら東京競馬場に12万人を超える観客が集まり、GⅡなのに武豊騎手がウイニングランをしたことからも、この馬がいかに愛されていたのかがうかがい知れると思います。

実際のサイレンススズカのレース↓

○ 金鯱賞

見た目のインパクトが抜群に強かったのがこのレースです。

このレースではサイレンススズカと他の8頭は同じレースながら別のレースを走っていました。他の馬など全く関係なく、ただゴールを目指して楽しく、気持ちよく走ったサイレンススズカを4コーナーからスタンディングオベーションで迎えたスタンドの観客。

後にも先にも、ただ1頭で名勝負を演じ観客を心から感動させることができるサラブレッドはサイレンススズカだけでしょう。

実際のサイレンススズカのレース↓

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【忘れられないシーン、エピソード】

○ 毎日王冠、天皇賞・秋で見せた返し馬

通常サラブレッドはレース前のウォーミングアップである『返し馬』の際、各自思い思いの方向に走り去っていくものですが、サイレンススズカは結果的に最後の秋になったこの2レースの返し馬で、サイレンススズカは走り去っていく他の馬を尻目にただ1頭スタンド前のラチ(注2)沿いを悠然と歩いた後で走っていきました。

当時その姿をテレビで見ていた自分にとって、その姿は、
今日は俺の走る姿を見に来てくれてありがとう!
今日も最高の走りを見せるから、みんな俺と一緒に楽しもうな!
と言っているように見え、あれから20年近く経とうとする今でも強く印象に残ってます。

走ることが大好きで大好きでしょうがなかったサイレンススズカの自分を見に来てくれたお客さんに対してのメッセージだったのだと、今でも強く感じています。

注2:競馬場のコースと観客席スタンドを仕切る柵の名称)

○ 天皇賞・秋:4コーナーの悪夢に隠されたスズカの真実

1998年11月1日、1枠1番からいつものようにただ1頭で名勝負を演じていたサイレンススズカの舞台が急に暗転した悪夢の4コーナー、レース中に左前脚を骨折したサイレンススズカはゴールを迎えることなく帰らぬ馬となってしまいました。

当時テレビでその中継を見ていた中学生の自分にはその現実を受け入れることができませんでしたが、後日サイレンススズカが自らの命と引き換えに守ったものがあったことを知りました。それはレース中での相棒である『武豊騎手の命』です。

通常レース中に骨折を発症した競走馬は痛みとスピードに耐え切れずコース上に転倒してしまいます。もしあの状況でサイレンススズカが転倒していたら、騎乗していた武豊騎手は後続の集団に踏まれ、もしくは蹴られて最悪の事態に発展していたかもしれません。

しかしサイレンススズカは自らの脚の痛みに耐えながら武豊騎手が落ちないように、コースの外側へ進んで行き、そこで止まりました。

本当の真実はサイレンススズカ自身と武豊騎手にしか分かりません。しかし自分はサイレンススズカが今でも一番好きな馬だからこそそう思いたいし、今でもそう思っています。

まとめ

実績だけを考えればサイレンススズカ以上の成績を残した馬は数多くいますし、サイレンススズカが勝ったGⅠは宝塚記念の1勝だけであることは事実です。

しかし、死後20年近く経った今でも多くのファンに愛され、人々の記憶の中で走り続けているサイレンススズカの姿をリアルタイムで見ることができたことは、自分にとって今でもとても大事な思い出として残っています。

これから競馬に興味を持っていく人に一人でも多くサイレンススズカが楽しそうに走る姿を見てもらって、そして競馬の楽しさを感じてもらいたい。
サイレンススズカの一ファンとして、これからも競馬を愛していきたいと思います。

by.サイレンススズカファン(匿名)より